2012年に日本音楽コンクールで最年少優勝するなど、以前から注目されてきたピアニストの反田恭平さん。
若い頃から音楽で活躍する方は、親の英才教育で育っている方が多いですが、反田恭平さんの両親は音楽と無関係です。
特に父親には音楽の道へ進むことを反対されていたそうです。
そこでこの記事では、反田恭平さんの
- ピアニストを目指したきっかけ
- 父親が音楽を反対した理由
- 家族構成
- 幼少期エピソード
を解説します。
反田恭平がピアニストを目指したきっかけ
反田恭平さんがピアニストを目指したきっかけですが、
サッカーの試合で手首を骨折したことがきっかけ
なんです。
反田恭平さんは元々、プロのサッカーの選手になる夢のために、地元のサッカーチームに所属していました。
ですが、ある日の試合で手首を骨折してしまったことがきっかけで、
と思い、サッカーの夢を諦めて、ピアニストになる事を決めたそうです。
サッカーの夢を諦めるほど、強烈な痛みだったんですね。
そこで音楽学校に行きたいと考えた反田恭平さんですが、父親に認めてもらうことが出来なかったようです。
ではなぜ反田恭平さんの父親は、音楽を反対したのでしょうか?
反田恭平の父親がピアノを反対した理由が驚愕!
反田恭平の父親は、音楽の道に進むことに大反対していたそうです。
音楽を反対した理由も色々あり、ちょっと面白いんです。
- ホットケーキが発端
- 高校進学のとき
- 大学進学のとき
それぞれ解説します。
ホットケーキが発端
反田恭平さんの父親が音楽を反対した理由ひとつめが、ホットケーキです。
って思いますよね!(笑)
その理由について反田恭平さんは、
なんだか微笑ましい理由ですよね。
一緒に母親の焼いたホットケーキを食べていて、大きさで喧嘩するなんて逆に仲良すぎるのではないでしょうか?(笑)
高校進学のとき
反田恭平さんの父親が音楽を反対したのが、高校進学の時です。
音楽学校に進学したいと反田恭平さんは父親に訴えますが、反対されてしまいました。
そこで父親はこのような条件を出します。
と言われ、反田恭平さんは半年という短い期間で出場できるピアノコンクールを探します。
そしてコンクールに片っ端から出て、なんとすべて1位を取って見せるんです!
それで渋々認めてもらったようですが、反田恭平さん、凄すぎますよね。
しかし一度認めてもらったものの、それは高校生まででした。
大学進学のとき
反田恭平さんの父親が次に音楽を反対したのは、高校3年生の時です。
音楽大学に行きたい反田恭平さんが、大学について父親に尋ねると、
と言われてしまったそう。
ちなみにこのコンクールというのが、第81回日本音楽コンクールのことで、なんと高校生の優勝は11年ぶりでした!
進学のたびに、父親に反対されてきた反田恭平さんですが、その度に出される条件にきちんと答える反田恭平さんは本当にすごいですね。
条件があったからこそ、反田恭平さんは実力を発揮できたのかもしれませんね!
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反田恭平の家族構成!
- 父親:反田憲秀さん
- 母親:反田真紀子さん
- 本人:反田恭平さん
の、3人家族です。
反田恭平さんはひとりっ子のようですね!
父親:反田憲秀さん
反田恭平さんのピアノの才能から、音楽一家の生まれかと思いましたが、普通のサラリーマン家庭出身なようでした。
それも憲秀さんは音楽にまったく関心のなかったそうですよ!
というのも、小学校時代の反田さんがピアノでショパンの曲を弾いていたとき、その演奏に対して憲秀さんは、
といって、テレビの音量を最大に上げたそうなんです。
これはちょっとショックを受けそうですよね。
まだ小学生と幼い頃に、ピアノ演奏をけなされてしまうと、自信をなくしてしまってもおかしくはないのではないでしょうか?
しかし反田恭平さんは、そんなことでへこたれず音楽を続けたようですね!
母親:反田真紀子さん
とても美人で優しそうな母親ですよね!
真紀子さんは、お母様はエレクトーンを弾く事が出来て、反田恭平さんが幼い頃に弾いて聞かせていました。
4歳のときに電子ピアノを買ってくれたのも真紀子さんでした。
そして反田恭平さんがピアノを弾くきっかけとなったのも、真紀子さんがエレクトーンを弾いていたことがきっかけです。
ある日、真紀子さんの弾く「ミッキーマウスマーチ」を耳にした反田恭平さんは、
と思ったそうで、なんと実際に弾いてみせたそうです。
真紀子さんがどうして弾いてみようと思ったのか反田恭平さんに聞いたところ、
と答えたそうですよ。
生まれながらのすごい才能だったようですね。
その後、真紀子さんは反田恭平さんを音楽教室へ通わせることになりました。
そこで反田恭平さんの演奏を耳にした音楽の先生も、その才能に驚き本格的にピアノを習う事となったようです。
初めに反田恭平さんの才能に気付いたのは母親の真紀子さんだったようですね。
反田恭平の幼少期エピソード
- ピアノの先生を芸能人と勘違い
- サッカーの試合前に車酔い
ピアノの先生を芸能人と勘違い
その芸能人とは、芸人の「なすび」です。
当時の反田恭平さんは、「天才テレビ君ワイド」をよく観ていて、ピアノの先生がなすびにそっくりだったので、
と勘違いしていたようですよ。
しかも、4~5年間もなすびが先生だと信じていたようです(笑)
違うと気付いたきっかけは、ピアノのレッスンが終わり帰宅すると生放送になすびが出ていたようで、移動時間に無理があり、
とようやくそこで、気が付いたようです。
ピアノの先生は大学卒業したくらいの若い方だったようですが、よっぽど似ていたのかもしれませんね。
サッカーの試合前に車酔い
その日は名古屋トーナメント大会で、反田恭平さんは、キャプテンマークを付けた新しいユニフォームを着ていたそうです。
父親の車に乗り込み、その後完全に車酔いをしてしまった反田恭平さん。
会場の自動ドアが開いた瞬間、大勢の子供たちが見ている前で、豪快に食べ物を戻してしまったそうなんです。
そのせいでユニフォームも台無しで、私服で試合に出たそうですよ!
せっかく新しいユニフォーム、しかもキャプテンマークなのに相当ショックだったのではないでしょうか?
反田恭平の父親が音楽を反対した理由まとめ
この記事では反田恭平さんの、
- ピアニストを目指したきっかけ
- 父親が音楽を反対した理由
- 家族構成
- 幼少期エピソード
- について解説しましたがいかがだったでしょうか?
ピアニストを目指したきっかけは意外にも、サッカーでの手の骨折がきっかけになったようでした。
反田恭平さんは両親と本人の3人家族で、父親が音楽を反対していた理由は、ホットケーキが原因です。
その後も進学の度に反対され続けたものの、その度に出される条件にクリアして音楽学校へ進学できたようです。
幼少期にはピアノの先生を勘違いする可愛らしいエピソードや、ちょっと悲しいエピソードがありましたね!
反田恭平さんの才能が開花した一つの理由には、いつも反対していた父親のおかげもあるのではないでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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