パリ五輪2024では兄・阿部一二三さんとの兄妹ともに活躍が期待されている美人柔道家・阿部詩さん。
子供の頃からオリンピック出場が夢だった阿部詩さんですが、彼女のオリンピックにかける想いは想像より遥かに熱いものでした。
ついにパリ五輪2024開幕ということで、阿部詩さんのこれまでの戦歴なんかもおさらいしておきたいところ。
そこで今回は、
- 阿部詩の出身校ごとの戦歴
- 阿部詩は幼少期、柔道イヤイヤだった?
- 阿部詩が大学時代に味わった、忘れられない「敗北」とは
- 阿部詩と兄・阿部一二三はよきライバル?!
について、まとめてみました。
阿部詩の中学・高校など学歴・戦績まとめ!
阿部詩さんの出身校は、次のとおりです。
- 小学校:神戸市立和田岬小学校
- 中学校:夙川学院中学校
- 高校:夙川学院高校
- 大学:日本体育大学
それぞれの学歴ごとに、戦績などのエピソードをみていきましょう。
神戸市立和田岬小学校
阿部詩さんの卒業した小学校は「和田岬小学校」です。
元々は「遠矢尋常小学校」という名前だったようですが、国民学校令や合併などの関係から何度か学校名が変わり、今の学校名となっています。
今では幾多の大会で優勝を納め、素晴らしい実績を残されている阿部詩さん。
しかし、この頃は柔道の練習に行っても「イヤイヤ」しちゃう子だったとか。
小学校4年の時からは兄と一緒に夙川学院中学校・高等学校の柔道部監督を務める松本純一郎の指導も受けることになったが、車から出てこなかったり、道場の入り口付近の壁にへばり付いて駄々をこねまくるなど頻繁に練習を嫌がっていた。
引用元:Wikipedia
今のカッコいい阿部詩さんを知っていると意外ですが、想像してみるとカワイイですね!
しかし、小学校5年生になってお姉さん意識も芽生えた頃、阿部詩さんの柔道魂に火をつける出来事が起こります。
そして小学校の高学年になると、柔道によりのめり込む理由ができた。5年生の時に全国小学生学年別柔道大会の40キロ級に出場したが、2回戦で敗退。6年次の同大会45キロ級では1回戦で敗れ去った。自分の未熟さを痛感し、火がついた。
引用元:Paris 2024 Olympics
この全国小学生学年別柔道大会での敗北こそが、阿部詩さんにとって本当の柔道人生の始まりでした。
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夙川学院中学校
悔しさと共に「夙川学院中学校」へと進学した阿部詩さん。
心を入れ替え、中学生になってからは毎日まじめに柔道の練習に身を入れ始めます。
「自分には柔道しかないな」と気づき、毎日4時間ほど稽古に励んだ。2015年、中学3年次には全国中学校柔道大会の52キロ級で優勝を果たし、さらなる成長のきっかけをつかんだ。
引用元:Paris 2024 Olympics
努力の成果が見事に現れ、「勝利」を経験。
しかも、この時に勝利した相手はバルセロナオリンピックの金メダリストの娘だったのだとか。
全国中学校柔道大会では決勝でバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の娘である東橘中学校3年の古賀ひよりを内股の有効で破って優勝を飾った。
引用元:Wikipedia
小学校の頃は「やればできる子、でもやらない」なだった、阿部詩さん。
しかし中学生といえば、もう「女の子」が「女性」へと大きく成長していく時期ですね。
大人になるにつれて、自分が目指す目標、極めていきたいことをみつけて熱心に取り組み、きちんと結果を出せたことは、彼女の成長も大きく助けたことでしょう。
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夙川学院高校(偏差値:進学 – 54 特進 – 56)
そして「夙川学院高校」へ進学した阿部詩さん。
ここから柔道家として本格的に実績を築き上げていきます。
ということで、阿部詩さんの高校時代の主な戦歴を学年ごとにまとめてみました。
1年生
- 平成28年度 全日本カデ柔道体重別選手権大会 優勝
- 全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 3位入賞
- 講道館杯 3位入賞
- 柔道グランドスラム東京2016 銀メダル獲得
2年生
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位入賞
- 金鷲旗 2位
- インターハイ個人戦 優勝
- ジュニア交流大会 優勝
3年生
- グランプリ・フフホト 優勝
- インターハイ団体戦 チーム優勝に貢献
- グランドスラム・大阪 優勝 (2019年世界選手権代表 内定)
世界選手権代表の内定の決め手となったグランドスラム・大阪の優勝について、阿部詩さんは連戦連敗だった角田夏実さんとの戦いについて次のように話しています。
角田選手には、がむしゃらにいって3回負けていたので、攻めるところと守るところを考えて戦った。
引用元:BBM Sports
悔しさをバネに闘志を燃やす!
まさに格闘技の精神そのものですね!カッコいい!
また、1年生の時のグランドスラム東京優勝は史上最年少での決勝進出ということで話題を呼びました。
阿部詩さん自身も、この頃にオリンピック進出を固く決心します。
小さなころから意識していたオリンピックが明確な目標に変わったのは高校生の時だ。夙川学院高等学校に進んだ2016年、大きな手応えをつかんだ。
引用元:Paris 2024 Olympics
ここまで、柔道家としてのキャリアを順調に築き上げてきた阿部詩さん。
しかし、運命は皮肉を心得ていたようです。
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日本体育大学(偏差値:35〜45)
オリンピック出場への決意を胸に、「日本体育大学」へと進学した阿部詩さん。
実は、阿部詩さんの兄・阿部一二三(ひふみ)さんも、同じ日体大出身なんです。
さて、日体大に進学後に阿部詩さんに襲いかかった皮肉な運命。
それは、「敗北」です。
2019年には兄を追うように日本体育大学に進学する。8月の世界選手権で2連覇を達成し、東京五輪に向けて視界良好に思われたが、11月のグランドスラム大阪では決勝で敗戦。技ありで敗れて東京五輪代表入りを逃すと、人目もはばからず号泣した。
引用元:Paris 2024 Olympics
阿部詩さんにとって、中学生の時に1日4時間の練習から努力を積み重ね、そして幾多の大会で勝ち抜いてきた柔道。
それが高校生の時に確固たる信念をもって掲げた目標「オリンピック出場」がかかっていた大会なだけに、悔しさも相当なものだったと思います。
しかし、その翌年にチャンスが再来します。
2020年2月、グランドスラム・デュッセルドルフにて優勝。
2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは準々決勝で世界ジュニアチャンピオンであるモンゴルのルハグバスレン・ソソルバラムを合技で破るなど全て一本勝ちして決勝まで進むと、金髪化したブシャールにGSに入ってから反則勝ちを収めて、GS大阪で敗れた雪辱を果たした
引用元:Wikipedia
よって見事、東京オリンピック代表選手の内定となったのです。
当時の思いについて、阿部詩さんは東京オリンピック優勝への思いを熱く語っていました。
阿部詩選手は得意の担ぎ技などで勝ち上がり、反則勝ちを含め、全5試合を一本勝ちで制覇。兄で男子66キロ級の一二三選手(22)(日体大)ときょうだいでの優勝を果たした。阿部詩選手は「五輪で優勝することが一番の目標なので、そこに向かって努力したい」と話した。
引用元:読売新聞オンライン
その東京オリンピックでは見事、金メダル獲得。
その功績から、神戸駅にはゴールドポストが設置されることとなりました。
東京オリンピック 柔道 女子52kg級において金メダルを獲得した功績をたたえ、2021年12月15日、兵庫県神戸市のJR神戸駅中央口北側に記念のゴールドポスト(第28号)が設置された
引用元:Wikipedia
その東京オリンピック優勝まで、阿部詩さんは他にも幾多の実績を残されています。
こちらも学年別にまとめました。
1年生
- グランプリ・フフホト 二連覇
- グランドスラム 2019 銀メダル獲得
- JOCシンボルアスリート 選出
2年生
- グランドスラム・タシケント 優勝
※モンゴル ルハグバスレン・ソソルバラム戦では不戦勝
3年生
- グランドスラム・カザン 優勝
- 東京オリンピック 女子52kg級 優勝
- @cosmeベストコスメアワード2021 ビューティーパーソンオブザイヤー 受賞
4年生
- 世界選手権 優勝(2回目の兄妹同時制覇)
- グランプリ・ザグレブ 優勝
- グランドスラム・東京 優勝
2年生の時は新型コロナウィルスによるパンデミックにより、あまり活躍の場にも恵まれなかったものの、3年生の時には東京オリンピックにて見事優勝!
さらに翌年は世界選手権とグランドスラムでの優勝をもって、見事に2024年の世界選手権代表選手に内定となりました。
コロナという苦境にも屈しず、実力で結果を見せ続けてきた阿部詩さん。
見事なまでの戦歴から、「確固たる信念」といった柔道の精神に通ずるものを感じさせられますね。
さて、阿部詩さんがここまで柔道家として成長できたのは、小学生時代に大会で負けた悔しさをバネに頑張ってきたのがきっかけです。
しかし、その成長を助けた重要な人物がいるんです。
その人物とは誰か?次章にて紹介します。
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阿部詩が柔道を始めたきっかけは兄だった!
阿部詩さんの柔道家としての成長を助けた重要人物。
それは兄・阿部一二三さんです!
阿部詩さんと兄・阿部一二三さんは時に支え合い、そして時に良きライバルとして、お互いを高め合って成長してこられました。
最高の兄妹=ライバル
阿部詩さんと兄・阿部一二三さんの関係を見ていると、まるで絵に描いたような「柔道兄妹」と言わざるを得ません!
なぜなら、お互いのライバル心がお互いを世界レベルまでの柔道家へと成長させてきたからです。
まず、阿部詩さんは兄・阿部一二三さんへのライバル心について、
三つ下の詩は「兄を追いかけてきた。やっと同じ舞台に立てる」と奮い立つ。
引用元:朝日新聞DIGITAL
と話しており、妹に追いかけられている兄・阿部一二三さんはというと、
「妹に負けていられない。兄らしい姿を見せたい」
引用元:朝日新聞DIGITAL
と、兄としてのプライドを掛けてライバル心を燃やし続けておられるからです。
特に兄・阿部一二三さんは、実は柔道家としては体格面において不利な状況でした。
一二三は体が小さかった。力も弱いし、技をかけられるとすぐ転がる。最初は女の子にも負けた。
引用元:朝日新聞DIGITAL
この「女の子」について、きっと
と、阿部一二三さんも危機感を覚えていたのではないでしょうか?[quads id=5]
ライバル心が育んだもの
その二人の闘争心を、うまくまとめ上げたのが父・阿部浩二さんでした。
一二三は16歳、詩は13歳だった。順調に強くなる2人を見て、父・浩二さん(51)がつぶやいた。
「2人で出られたら最高やな」
その言葉に、詩はときめいた。「20歳で東京オリンピックに出て優勝したい」。一二三は「自分の国で金メダルを取りたいな」と思った。きょうだいの夢が始まった。
引用元:朝日新聞デジタル
「二人でオリンピック出場」
この目標は二人にとって「柔道家として」だけでなく、お互いを高め合っていくための「ライバル心」、そして何より「兄妹愛」をも育むものとなったのではないでしょうか?
そう考えると、2度にわたる世界選手権の兄妹制覇は感慨深いものがありますね。
阿部詩さんの兄弟など家族構成について、さらに詳しい記事があるのでこちらをご覧ください。
以上、阿部詩さんの学歴についてまとめました。
今後、何か新しいことが解りましたら追記します。[quads id=6]
まとめ:阿部詩の中学・高校など学歴・戦績まとめ!柔道をはじめたきっかけは兄だった!
阿部詩さんの中学、高校での戦歴や柔道を始めるきっかけとなった出来事、兄・阿部一二三さんとの関係などについてお話ししました。
- 阿部詩は小学校時代、柔道の練習はあまり興味がなかった
- しかし小学校の時に大会で負け、悔しい思いをする
- その悔しさをバネに、中学生からは真面目に練習をするようになる
- 練習の甲斐あって中学、高校時代は幾多の大会で優勝
- 高校生の時、オリンピック出場を決意
- しかし大学時代、一度は内定のチャンスとなった大会で敗北
- その後、グランドスラム・デュッセルドルフにて優勝
- そして東京オリンピック代表に内定、金メダル獲得となる
- 兄・阿部一二三とはお互いを高めあう仲
ちなみに、柔道に興味のなかった小学生時代の阿部詩さんはピアノも習っていたとのこと。
最初は兄の付き添いで見学していただけだったが、練習風景が楽しそうに思えて、女の子だからピアノでも習った方がいいと考えていた父親の反対を押し切った。
引用元:Wikipedia
とっても美人でかわいいと評判の阿部詩さんですから、ステージで見事に音色を奏でる姿も様になっていたかもしれませんね。
なお、阿部詩さんがかわいい!という評判についてはコチラの記事が参考になります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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