第100代内閣総理大臣に岸田文雄氏が任命されました。
国民の声を聞き、政策に反映していきたいと意気込んでいた岸田文雄首相。
日本をよりよくするために、総理大臣として尽力していただきたいですよね!
そこで今回は、岸田文雄首相の出身小学校・中学・高校の学歴や、早稲田大学に進学した理由についてまとめてみました。
岸田文雄の学歴・小学校
岸田文雄首相の小学校の学歴について紹介します。
岸田文雄首相は小学校を3度転入しています。
- 「PS20 Anna Silver Elementary」
- 「PS13 Clement C.Moore School」
- 千代田区立永田町小学校
①PS20 Anna Silver Elementary
東京都で生まれ育った岸田文雄首相ですが、当時、父親の岸田文武さんがニューヨーク総領事館に勤務していたため、その関係で1963年にアメリカのニューヨークに引っ越しをしたということです。
同年9月、岸田文雄首相はニューヨークの小学校「PS20 Anna Silver Elementary」へ入学しました。
マンハッタン島の中にあり、タイムズスクエアやセントラルパークも近くにあるかなり都会の小学校のようです。
ニューヨークに住み始めた当初は英語が全く分からず苦労したようですが、学習を重ねて語学力を伸ばし、生活するのに困らない英語力をつけたといいます。
②PS13 Clement C.Moore School
1964年の春からは、「PS13 Clement C.Moore School」に通っていました。
半年ほどで転校しているということになりますね。
転校の理由についての情報はありませんが、父親の仕事の関係かもしれませんね。
「PS13 Clement C.Moore School」はクイーンズ地区にあります。
クイーンズ地区というと、「PS20 Anna Silver Elementary」があるマンハッタンと比べると様々な人種の方が住んでいるイメージがありますね。
そして岸田文雄首相本人も、日本人ということで理不尽な思いをすることもあったようです。
岸田文雄首相がニューヨークに住んでいたのは小学校1~3年生まででしたが、その経験が人種差別により正義感と義憤の念を抱くきっかけとなったそうです。
1966年6月にパブリックスクール三年次を修了し、日本に帰国しました。
③千代田区立永田町小学校
そして同年7月に千代田区立永田町小学校に転入しています。
永田町小学校は現在閉校しており、麹町小学校と合併しています。
岸田文雄首相の父親が永田町で衆議院議員をしていたため、通いやすい永田町小学校に転入したと言われています。
また、永田町小学校には当時高級官僚の子息が通っていたそうで、「議員の子供は永田町小学校」という流れができていたのかもしれませんね。
岸田文雄首相は永田町小学校に6年生まで通い、1970年に卒業しました。
岸田文雄の学歴・中学校
岸田文雄首相は1970年4月に千代田区立麹町中学校に入学しました。
麹町中学校といえば進学校として有名ですね。
中学時代は軟式テニス部に所属していたといいます。
岸田文雄首相は麹町中学校70周年記念のイベントに出席し、卒業生代表として在校生にメッセージを送っています。
「今までの、常識にとらわれず、自由にものを考えて自分の信じた道に進むべく、努力していく力をつけてほしいと願っています。」
また、Instagramでは麹町中学校の同窓会に出席した際の投稿もしていました。
View this post on Instagram
麹町中学校は、岸田文雄首相が通っていた時代には1学年が11クラスありました。
かなり人数が多いですよね。
他のクラスでは、あまり岸田文雄首相のことを覚えている人はいないようです。
11クラスもあれば、同じクラスになるか、余程目立つような人物でなければ記憶にないのも仕方ないですね。
その中で、同じ麹町中学校出身でカシオペアの元メンバー・桜井哲夫さんがいました。
小中学校時代の同級生にとって、当時の岸田氏は目立たず、穏やかな性格だった一方、協調性があり、人望が厚かったという。
(中略)
バンド「カシオペア」の元メンバーで、ベーシストの桜井哲夫さん(63)は「人と競争するというよりは共存するタイプ。人望が厚かった」と振り返る。「今も思慮深く、誠実。こういう人に日本のリーダーになってほしい」と期待した。
引用:yahooニュース
桜井哲夫さんは岸田文雄首相のことを「協調性があり人望が厚かった」と話していました。
岸田文雄首相の人柄は中学時代から形成されていたのですね。
1973年に麹町中学校を卒業しています。
岸田文雄の学歴・高校
岸田文雄首相は1973年に開成高校へ入学しました。
開成高校といえば東京大学の登竜門であり、東大の合格者数ランキングで40年連続で首位を獲得しているほどの有名進学校です。
岸田文雄首相は高校時代、野球部に入部されていました。
ポジションはショートやセカンドを守っていたといいます。
写真後列の右から2番目が岸田文雄首相です。
有名進学校の開成高校なので、野球部の成績はいまひとつだったようですが、幼い頃から広島カープのファンだった岸田文雄首相の熱の入れ方は凄かったそうです。
広島生まれの父親の影響でファンになったそうですよ。
大学受験を控えた高校3年生の10月15日に、後楽園球場まで広島VS巨人の試合を見に行っているのです。
当時、東京に広島カープの帽子が売っていなかったため、自作して試合を応援していたといいます。
現在のカープの帽子は赤色で「C」のマークですが、かつては青色に「H」でした。その野球帽がほしくてね。ですが、東京のスポーツ店では手に入らなかった。そこで、自分で白い生地を切り抜いて、青い帽子に貼り付け、手作りの野球帽を作ったのを記憶しています。
引用:AERAdot.
また、運動だけでなく文化系にも興味を持ち始めたようで、高校からギターを始めたそうです。
この頃は小説家を目指していたとも話していました。
幅広いことに興味を持って取り組んでいたのですね。
また、開成高校OBの官僚で作られた「永霞会」をまとめたりもしているようです。
昔から多くの人との繋がりを大切にしているようで、人柄の良さや人望が厚いことが伺えますね。
岸田文雄が早稲田大学に進学した理由が衝撃!
岸田文雄首相は開成高校卒業後、早稲田大学に進学しています。
早稲田大学に入学した理由は、東京大学への受験に三度失敗したためでした。
開成高校現役の年(1976年)とその翌年(1977年)は東京大学のみ受験し、不合格となっています。
そして2浪した1978年には東京大学、早稲田大学、慶應大学を受験しました。
結果として、早稲田大学、慶應大学に合格し、東京大学は不合格でした。
3回不合格となり、岸田文雄首相は東大進学を諦め、早稲田大学に入学したんですね。
岸田文雄首相は過去のインタビューでこう話しています。
母校の開成高校は東大に進む生徒が多い中、私は東大受験に三回失敗するなど悔しい思いもしました。
引用:文春オンライン
先ほども紹介したように、開成高校は東大合格者数ランキングで40年連続トップの超進学校です。
その高校に通いながらも東大受験に3度失敗してしまい、悔しい思いをされたようです。
ショックで帰り道はほとんど記憶がなかったと言います。
父親の岸田文武さんも東京大学法学部政治学科を卒業していることから、岸田文雄首相も東大に入りたかったのかもしれませんね。
しかし、早稲田大学でももちろんすごいことですよね!
大学では勉強よりも趣味や友人と遊ぶことに時間を費やしていたようです。
また、夏目漱石のような文豪に憧れて小説をたくさん読んでおり、小説家になりたかった時期もあったといいます。
勉強だけでなく様々なことに目を向け、充実した大学生活を送ったようです。
大学卒業後は日本長期信用銀行(現在の新生銀行)に入行しています。
東京大学に入学できなかったことで、「自分はエリートではない」と言っていたという岸田文雄首相ですが、日本長期信用銀行の行員はほとんどが東大卒業生というエリート銀行です。
そこに早稲田大学出身の岸田文雄首相が入行できたのは、人知れない努力があってこそなんでしょうね。
まとめ:岸田文雄の学歴まとめ!早稲田大学に進学した理由は東京大学に3回落ちたから!
岸田文雄首相の出身小学校・中学・高校の学歴や早稲田大学に入学した理由などをまとめました。
ニューヨークでの経験や、運動・文化ともに力を入れるなど、現在の岸田文雄首相の人柄や考え方に大きく影響した学生時代だったことがわかりますね。
東京大学に3度不合格の末、早稲田大学に入学していたことも明らかになりました。
今後の岸田文雄首相の活躍に期待しています!
岸田文雄と裕子夫人の別居理由が意外すぎ!食事のTwitter炎上の真相や現在誰と暮らしているのか調査!
岸田文雄の嫁の裕子夫人の学歴・経歴まとめ!マツダの元社長秘書で英語がペラペラなのか調査!
岸田文雄が似てる俳優3人は段田安則と阪田マサノブと中村芝翫!モノマネは誰がするのか予想!